『今も昔もぐっすり眠りたい』
「1日がひとの人生をきざむもっとも大切な時間の単位だ」
と言い切ったのは、詩人の長田弘さんです。(『1日の終わりの詩集』あとがきより)1日の終わりに必ずやってくるものが“眠り”です。
上田泰己著『脳は眠りで大進化する』という本を読みました。2024年6月20日発行なので、睡眠研究の今を知る事ができます。“私たちは、どのような仕組みで眠っているのか”というのを解明する事は非常に難しいそうです。1960年~1980年くらいは、起きている時に“睡眠物質”なるものが脳に溜まり、一定量を超えると眠くなると考えられていました。しかし、遺伝子を応用した実験により、睡眠物質というものは否定されてしまいます。上田先生は、睡眠物質ではなく覚醒物質が睡眠をコントロールしているのではないか?と逆転の発想を2012年に思いつきました。そして、カルシウムが睡眠に大きく関わっている事を、2016年に発表しました。「そんなありふれた物質が?」と思われる方も居るかもしれません。しかし、確実にカルシウムが睡眠に関わっている事を、科学的に証明する大変さは本書を読むと痛いほどによく分かります。
深い眠りの“ノンレム睡眠”と、眼球がピクピク動く浅い眠りの”レム睡眠”の役割もかなり解明されたようです。ノンレム睡眠の時は、神経同士のつながり(シナプス)を強くしたり新しく生みだしている睡眠。レム睡眠はシナプスを取捨選択している睡眠だそうです。人間は動物の中ではめずらしく長い時間持続的に眠り、ノンレム睡眠とレム睡眠を交互にくり返します。人間だけが独特な文化や大きな社会を作るよう特異に進化した理由は、睡眠にあるのではないか。睡眠時にくり返されるシナプスの強化と取捨選択という、小さな進化の積み重ねが、大きな進化につながったというのが、上田先生の見立てです。本のタイトル『脳は眠りで大進化する』となるわけです。
こんなに大切な睡眠ですが、不眠症に悩む日本人は30%~40%も居るそうです。服薬での改善を期待する人も多いですが、睡眠を阻害している習慣を改める“認知行動療法”から始めた方が効果の高いという論文を見つけました。しかし、この認知行動療法は手間がかかる為に中々広がりにくいのだそうです。試しに認知行動療法を行っている都内のクリニックを調べてみましたが、やはり数は少ないようです。
服薬に頼らない治療といえば、鍼灸という手もあります。『黄帝内経』という約2000年前(日本では弥生時代くらい!)に編纂されたとされている中国医学古典にも、「不得眠」などの記載があり、不眠治療の長い経験がある事が分かります。
東洋学術出版社の『針灸学~臨床篇~』には、不眠は肝心脾肺腎の五臓の内の”心“の不調により起こるとされています。この“心”を不調にする原因として、脾・肝・腎にもトラブルがあるとされています。それぞれ見ていきますと、一つ目の“脾”は消化器系にあたります。食物を上手く消化できないと心を養うことができません。そこで、腹部や下肢へのお灸などをすることで、お腹から元気にすることができます。二つ目の“肝”は怒気に強く反応する臓器です。感情が高ぶって寝られないのは、肝で生まれた熱が心に悪さをしている為です。そこで、ストレスを軽減する背中へのお灸や、頭への針などをして治療することができます。三つ目の“腎”は水と深いつながりのある臓器です。身体をすみずみまで潤し、体温の調節なども担っています。慢性病などで腎が弱りがちになることからも“心”の熱を冷ますことができず不眠になってしまうことがあります。腰や下肢への、気持ちの良い刺激量の治療を行います。こうして、腎を弱らせてしまった慢性病に打ち勝つ体力を養えるのも、東洋医学の特長です。
不眠の認知行動療法で大切にされていたのが、自身の睡眠を日々記録することでした。その記録を参照しながら、睡眠に対する“自分の癖”を見直していきます。薬という他力に頼り過ぎず、不眠を自らの手で改善していこうという、主体的な姿勢が良い結果を生んでいるのだと私は思います。当院でも、鍼灸治療だけでなく、一人ひとりに合わせたセルフケアの体操、ツボ押しやお灸もお伝えしています。さらに米糠のホットパックに、シルク入りの重ね履き靴下や腹巻、レッグウォーマー、ルームフレグランスなど、就寝時にも使えるグッズも紹介・販売しています。鍼灸でリラックスし、さらに身体が喜ぶ気持ち良い睡眠習慣作りのお手伝いが出来れば幸いです。






〈参考文献〉
上田泰己『脳は眠りで大進化する』文藝春秋、2024年
不眠症に対する認知行動療法の有効な要素を解明 http://npsy.umin.jp/information/cbti_cnma/
moriyan