風と木の詩人

『黒板』
病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と教室を出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って
「そんな過去もあったかな……」と、不思議に既視感(デジャヴ)を思い起こさせる詩です。入院した経験も無いですし、「諸君」と語りかける教師に出会ったこともありません。それなのに、何度か声に出していると、まるで自分がこの詩を体験した記憶があるかのように思えてきてしまいます。私だけでしょうか??
一人の詩人の生涯を学びつつ、気に入った詩を順番に朗読する“ポエトリーカフェ”。ちょっと前になりますが、2025年5月に開催された回の感想です。冒頭でも紹介した詩を書いた、高見順を取り上げました。
詩人としてよりも、小説家として有名かもしれません。28歳の時に、第一回の芥川賞の候補にもなっています。1907年(明治40年)に福井県に生まれです。当時の福井県知事の、私生児であった為に、とても苦労の多い生活でした。18歳で「廻転時代」という同人雑誌を創刊し、詩や小説を発表しています。戦争や、心身の不調を乗り越えて、生涯作品を発表し続けました。近代文学の資料の散逸を防ぐ為に「近代文学館」建設にも奔走するなど、後世にもつながる活動をしました。近代文学館は下北沢から井の頭線で二駅の、駒場東大前で降りてすぐですね。
《川端康成と談笑する高見順》

さて、高見順の他の詩も紹介していきましょう。
『好き嫌い』
こっちの松は ジッとしているのに
向うのもみじは
葉が風にゆれている
風にも好き嫌いがある
『十月』
出発ばかり考えている雲が
そわそわとみんな出発しきったあとで
秋風が静かに私を訪れて
ちょっと一服と窓辺に寛(くつろ)いで
その掌に草の実をころがしながら
私に話しかけるいろいろの話は
草の実が今年の草の実でありながら
昔ながらの草の実であるように
今日このごろの噂話にも
昔ながらの悲しみや永遠の喜びを
果実の中の汁液のようにたたえ
忙しい私を沈思の楽しさに導いて
たとえば果実が甘く熟れるのにも
懶惰(らんだ)に似た時間が必要なのだと
枯淡な微笑を投げかける
この話し好きの古老のような
十月の風が私は好きだ
『制作』
風を押し動かしているものは何か
風に違いない
風を押し動かしているものは何か
何かに違いない
果樹に実をみのらせているものは
何か
僕に詩を書かせているものは
何か
静かにみのらせる何か
この静かな何かと
風を動かす何かとは
同じ何かか
動かす何かと
静かな何かとが
いま僕のうちに感じられる
高見順の作品には、風と木にまつわるものが多い印象です。第一詩集のタイトルも『樹木派』ですしね……
ここまで書き進み、中々書けない時間が長かったです。
そんな時、自宅の本棚に、武田砂鉄著『なんかいやな感じ』という本がありました。たまたま手に取りパラパラ読んでいると、高見順の代表作、『いやな感じ』という小説にも触れている文章があり驚きました。少し長いですが、その部分を抜粋してみます。
いやな感じ、というのは、あまりにも抽象的な「感じ」ではあるのだが、他者からは管理できない「感じ」だからこそ、内心で自由に膨らませることができるものでもある。高見は自伝的小説『わが胸の底のここには』で、幼少期に理髪店で起きた出来事を、長らく根に持っており、「不当に嘲笑された、そんないやな想いが澱のごとくに残った」と語っている。理髪店で「坊ちゃん、ちょっと立って下さい」と言われたので、その通りに理髪台の上に立った。すると、理髪店の主人は「おッと、あぶない」と言いながら、寝ぼけていると言って大笑いをした。ただそれだけのことだ。でも、高見にとっては「つまらないことのようだが、永くこのことは私の心に残った」そうで、「私が怒った、怒り得た恐らく最初の場合」として記憶されているという。それを読み、ひとまずつまらないことだな、と感じる。でも、どんな人であっても、「最初の場合」を持っており、それは怒りの感情だけではなく、あらゆる感情の揺れ動きについて最初の経験がある。それをいつまでも蓄えている人間ではありたい。つまる、つまらないではない。
もし、記憶というものを形で表すならば、それは木の形をしているのではないかと思いました。更に二編、高見順の詩を紹介します。
『目に見える音楽』
花の落ちた栗の木の枝葉が
微風(そよかぜ)に揺れる 敏感に揺れる
無造作に揺れながら
全体として調和がある
揺れている各部分がハーモニーを成して
目に見える音楽のようである
『樹木』
葉と枝は人に見せ
大切な根は人に見せない
“忘れたくない記憶を根っこに保っておく事。それから、幹に枝に葉に自分を伸ばし、今の世界の風を精一杯感じよう”そう、高見順に言われているように感じました。
moriyan