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ツキモリの吽file11

『縁のある詩人』

ポエトリーカフェに行ってきました

『ほそい がらす』
ほそい
がらすが
ぴいん と
われました

7月末に開催された、〚ポエトリーカフェ〛(詩人の生涯を学び、気に入った詩篇を朗読するイベント)で取り上げた詩人は、この詩の作者、八木重吉さんでした。この方は、町田市生まれ。そして、神戸市にも住んでいた時期もありました。ちょうど私も現在は町田市暮らしで、修行先は神戸市でした。時代は違いますが、同じ景色を見て暮らしていたかもしれません。

私がポエトリーカフェ当日に朗読した詩はこれです。

正月の元日から 寝ちゃったの、

そしてね、

自分が、ちいさな ちいさな

ごみみたいな 人間に おもわれてきてよわったのよ、

なんとなく こう――じぶんが、ね

死んじまった方が いい人間のように、ね、

眼をつぶるとね、――ちょうど

墓場の穴の中へ落ちこんでゆくようだったのよ、

それがね――ふしぎぢゃないの⁉――

郷里の――ほら、あなたしっていない⁉

秩父山脈が 武蔵野の原へおだやかにながれこんでいる

あの地方よ、――そこに、ね、

わたしの家の古い土蔵があるの、

土蔵の西がわに大きな 椿があるのよ、

ええ、そうよ、

わたし、その椿の花をおもひだしたの、

そうしたらね、

なんだか わたしの胸にね、

椿の花が咲いたような気がしたの、

それあ、しづかな花だったわ、そして大きかったの、よ、

そうよ、そうよ、

それで はじめて わたし

何かしらないものに あやされでもするようなきになって

ひさしぶりにすやすやと ねむったのだ、わ、

この作品は、八木重吉が神戸在住の時に書かれたものです。言葉遣いが八木重吉自身ではなく、神戸のおば様風というのが面白いところです。朗読の時は、神戸でお世話になったチャーミングなおば様方を思い出しながら読みました。

詩の中に出てくる土蔵と椿が気になり、町田市の外れにある、八木重吉の生家にも直接行ってみました。今は八木重吉記念館として開放されています。小川が流れ、虫が鳴き、木が生い茂る自然あふれる場所でした。実際に詩で取り上げた風景に足を運んだことも、朗読の語りに活きたと思います。

『花がふってくると思う』

花がふってくると思う

花がふってくるとおもう

この てのひらにうけとらうとおもう

他の方の朗読で印象的だったのは、『花がふってくると思う』という

詩です。読んだ方がちょうどお隣だったので、「どんな花が降ってくる

イメージなのか?」という話しになりました。

その方は、桜の花吹雪の様なものをイメージされたそうです。

私は、自分の朗読した詩篇にも出てくる椿の花を想像しました。

椿の花は花びらが散るのではなく、花が塊のままポトリと落ちるのです。花吹雪、椿の花、どちらが正解というわけではありません。一遍の詩について、お互いに語り合える事が、とても豊かで楽しかったです。

中学校の教師をしながら詩作を続け、27歳で第一詩集『秋の瞳』を刊行します。この刊行したのが、西暦1925年ですので、ちょうど100年が経つのです。

100年も読み続けられてきたのは何故なのでしょう。3行の短い詩を3篇紹介します。

 『草に すわる』

わたしの まちがいだった

わたしのまちがいだった

こうして 草にすわれば それがわかる

『私』

ながいこと病んでいて

ふと非常に気持がよいので

人の見てないとこでふざけてみた

『悲しみ』

かなしみと

わたしと

足をからませて たどたどとゆく

ネガティブな気持ちや状況を、誤魔化さずにそのまま詩にしてしまう。3篇並べてみるとよく分かるのではないでしょうか。飾らないことが、詩を書き続け、他人にも読み継がれてきたのだと思います。

更に、今回のポエトリーカフェで知って感銘を受けた事があります。それは、八木重吉亡き後に、夫の未発表の詩篇をきちんと出版しようと尽力した妻のとみさんの存在です。後世に伝え残そうとした、とみさんが居たからこそ、今でも当たり前に八木重吉の詩集が読めるのです。

「続ける情熱は伝播する」と、つくづく心に刻まれた八木重吉のポエトリーカフェでした。

moriyan

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